ピアノにおけるオリジナリティ
もう季節は夏ですね。蛙たちが大合唱してて楽しいですけど。ある日海を見てボーッとしながら、ピアノ演奏におけるオリジナリティーはなんなのかと考え始めました。
オリジナリティとは?ピアノ演奏にオリジナリティは必要?
オリジナリティ、所謂、独創性です。
絵、小説、作曲、これら全ては独創性に関わる芸術行動です。



しかし、ピアノ演奏に関してはどうでしょう?主にクラシック音楽の演奏。
絵は自由自在に0から作品を作り上げますが、クラシック音楽演奏はもうすでに演奏する作品が出来上がっています。
バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパンなど、数多くな作曲家はゼロから曲を紙に墨を入れて、何千何万の作品を作り上げてきました。それに関してはもちろん、創造性は不可欠です。
特にベートーベンは耳も聴こえないにも関わらず、晩年は第九交響曲や弦楽四重奏、数々名作を生み出しました。


それで我々は、その名作を演奏することで果たしてオリジナリティが必要なんだろうか。
なぜ、クラシック音楽演奏は舞台芸術の部門に入るのでしょうか。
そもそも作品自体が存在しているのに、なぜ演奏自体は芸術というのでしょうか。
よく「バッハのスタイル」や「ロマン派のペダルの使い方」など、もうマニュアル通りにピアニストは再現して弾いているのではないか?
クラシックピアノにオリジナリティはどこにあるのか。
なぜ我々はわざわざ高いチケットを買い、アルゲリッチやキッシンなどの天才の演奏を聴きたがるのか?
アダム・グラントが考えたオリジナリティ
最近アダム・グラントさんが書いたORIGINALSという本を読みました。
グラントさんはこの本で様々な研究結果に基づいてオリジナリティはどうやって生み出して人々は成功してきたのかと分析してます。
彼はほとんどの場合にオリジナリティがある人は昔から築き上げた基礎の上で自らの考えを生み出したと言っています。
おそらく、そのルールをマスターしない限り、そのルールを破って新たな規則を作り上げることは不可能でしょう。
そう考えてみると、ピアノも確かにそうです。弾き方の基礎、作品の時代に合わせて音を変えたり、ペダルの使い方も変わります。
その基礎を理解した上で、自分の考えを加え、それで自分の表現に変える。それがクラシックピアノにあるオリジナリティーなのでしょうか。
でもそれだけ言っても理解しにくいですよね。
キッシンの演奏
ふと脳裏を過ったのは、キッシンの演奏です。
キッシン音楽の迫力がすごく、その音楽も普通のピアニストにはない歌い方をしています。
時々作品の時代らしい弾き方やペダルをしてないと思ったりもしますが、ある意味でキッシンは過去の作品を自分の音楽として作り変えています。
それがまさしく基礎を理解した上での型破りではないでしょうか。
カラヤンの暗譜
カラヤンは指揮するとき、大体暗譜しています。
毎回カラヤンの演奏ビデオを鑑賞すると、目をつぶっているカラヤンが指揮棒をふる姿に感心します。
オーケストラをのパートを全て覚えて、一時間以上のプログラムを暗譜することはプロでも至難の業です…
カラヤンはいったいどうやって暗譜して音楽界の偉業を達成したのか。噂によるとカラヤンは暗譜するとき、楽譜の記号ではなく音で暗譜している。
脳内で楽譜に書いてある音符や記号を全て音に変化させ想像する。その頭の中にある理想の音に基づいて、オーケストラを指導していた。
ピアノレッスンを振り返ると
それでこの数ヶ月のピアノレッスンを振り返ると、ピアノを弾いた後で教授に時々こう言われてた事がありました
「いいアイデアがあるね。」
アイデア?どういう意味だろう。音楽の解釈のことかな?自分は別に何かを作り出すと考えながら弾いてないし。
ただ、自分が楽譜で読んだものと練習の時に感じた音の流れで確かに自分なりの理想的な音楽を作り上げています。
教授は、それを感じ取ってくださったのかな。
その作り上げた音楽にオリジナリティが必要で、長年な訓練と人生を重ね、ステージに上がって弾く時に自分の独特な音色を生み出すこと、それがそのオリジナリティ発揮の瞬間なのでは?
以上、オリジナリティについての自分なりのちょっとした考え方でした。