レッスンでの苦闘

数日前のピアノレッスンで新しい曲を初めて教授に聴いていただきましたが、相当緊張しました。

最初にショパンのエチュードOp. 10 No. 9を弾いたのですが、やはり思ったように弾けず…。

教授はまたまた同じアドバイス:

「ショパンはsempre legatoって楽譜に書いてますよ。」

Sempreはイタリア語で「常に」と言うことで、ショパンは常にレガートを要求しています。

しかし思ったように手を動かせないまま弾いてしまい、音が繋がらなかったようです。

以下の箇所ですが、この左手のラインをつなげることを強調しました。

自分が難しいと思ったのは、別の音とCをつなげることでした。

ショパンエチュード Op. 10-9

「Cから上の音にいくようにラインを作りなさい。」すなわち、音の方向性を感じながら弾きなさいと言われました。

その似たような箇所はエチュードの終わりにもあるのですが、

そこで教授はイラたったように何度も頭を激しく横に振り、

「ノノノノノー!!なんでそうな風になるの?!」

「ノノノノ!!悪いがそれ全然違う!!」

「ノノノノノ!わたしはこういう風に弾けと言っている!なぜ逆なことをする!?」

… はい、申し訳ありません… と心の中で呟きました。

教授は普段は優しいおじさんですが、レッスン中だと急にムッとして厳しくなります。

弾き方修正中も緊張して冷や汗が出て、着てたシャツもびしょ濡れになりました。

最後は「よくなりました。」とおっしゃったのですが… 本当か?と思いながら次の曲に移行しました。

ベートーベンの悲愴の重点は「オーケストラの楽器と音色を想像しながらピアノでの音色や表現を変えなさい」っとのことでした。

ベートーベン 悲愴
第三楽章の第43ー47小節。管楽器の音を想像して弾きます。

特に左手などの伴奏パートは管楽器などの音を模倣するようによくアドバイスしてくださいました。

悲愴第一楽章はあんまりショパンのように詰まらなかったのですが、教授は急に第二楽章も弾いてみましょうと言われたのです。

え… 第一楽章しか集中練習してないんだけど… しかし練習してないとは言えず、そのまま第二楽章を弾き通しました。

十数年前に一度悲愴を独学で弾いたことがあるので、指もなんとか弾き方を覚えてなんとかなりました。

弾いてる最中ところどころで教授が修正してくださって、なんとか第二楽章の最後まで無事に到着。

そうだね、第三楽章もやってみましょう。」

… ええええぇぇぇ!?

やらざるを得ない… 

ほぼ初見のような感覚で第三楽章の真ん中まで弾きました。同じく弾いている間に色々アドバイスを下さいました。

それで丁度1時間がたったところで、教授は「いいね、進歩している。いい方向に向かっている。」と仰り授業は終わりました。

「本当かよ…?はぁ…」と心の中で呟きながら、ありがとうございましたと言って終わりました。

ピアノは弾けば弾くほどわからない気がします… 難しい。

しかし教授はそれを見通したかのように、「ピアノは弾く自体は全然難しくない、ただ自分が想像した音をリラックスして鍵盤を通じて表現するばいいんだよ。」と優しく言ってくださいました。

そこにたどり着くことが難しいところじゃないか… まあ、あんまり難しく考えないと伝えたいんじゃないかなと思います。

授業の後ずっと頭の中で「レガート、レガート」が思い浮かび、まるで呪文でもかけられてるようでした。いったいどうやってレガートをマスターできるのだろうか。

レッスンは厳しかったですが、教授は真剣に教えてくださり、心からに感謝しています。

また来週もがんばります。